人生楽しめてる?

前作のブログが続かなかったので好きなことを語ってたら日本一周している人のブログ

どうして優劣が必要なのか

どもども、僕です。

 

突然ですが、いじめにあったことはありますか?僕はあったことがなかったので実感はないですが、ニュースで話題になることがあったりと身近に感じてきているような気がします。いじめを考えるうえで人間社会における優劣の関係はいじめを誘発する原因の一つに挙げられる気がします。いじめ以外にも現代社会では優劣つけたがるケースがそれはもう際限なくあります。

 

例えば就活の行き先や能力でマウンティングしている人。「俺は有名会社に入社したんだぞ」「私はこんな資格持っているのよ」等。相手からすると「お前よりもすごいんだぞ」と言いたいんでしょうが、僕からすると「だから何だYO」って思うんです。正直人間として魅力がないんだろなって思います。「無職だけどこれから起業するねん」と言っている人のほうがよっぽど聞こうってなりますわ。

 

その社会の縮図となっている学校では学力、運動、社会性がないと煙たがられます。学力・運動は身体的な差があるから極端な学校でない限りそれほど影響はないですが、社会性は範囲が広すぎてカバーしきるのが難しいです。少しでも話に乗れないと敵対し、クラスの常識から逸脱しようものなら集団で否定されます。

 

僕自身はいじめられてなかったですが、小学校の頃に友人がいじめられていたことがあります。今思うとしょうもないのですが、鼻くそついた手で他の人の机を触ったのがきっかけでした。給食食べる時に机合わせるのを一人くっつけないようにするとか、クラスのボスザルに殴られたりされてました。今思うといやいやお前らの手外出て雑菌まみれやからそんな大して変わらんぞ、てか嫌って注意したらそれでOKじゃないの?って分かりますが、小さなコミュニティだと少しでも異端な行動をすれば排他しようとする風習があったんだなと振り返ります。

 

本人に当時の思いを聞いたことはないですが、元々僕も理解できない独自の感性を持っている子だったのでいじめについて気にしてないかもしれません。今では我が道を進む姿勢は学べるところだと思ってます。ですが、普通の人でしたらこの世の終わりのように絶望してしまうのではないでしょうか?

 

この辺に社会的な優劣をつけたがる文化があるのだと思います。異端を排他し、常識を絶対善とする風潮。逆ピラミッド型のヒエラルキーが生まれています。優劣ってのは社会の中で自分が優位に立ちたいという欲望から生まれてくるのではないでしょうか?僕もありますが、ある人より優位に立ちたいということで、ある社会的コミュニティが求めているもので優位に立とうとします。勉強が出来ない子に「これくらいできるやろ」って言うのも一種の優劣だと思います。会社で仕事できない人に対して「みんなやってるんだからできるはず」というのも優劣ですね。

 

優劣をつけないと自分の価値が分からない。だからいじめをして優位に立とうとする。自分の価値が分かってる人は優劣つけるような発言はしないと思います。他人よりも自分をしっかり見ていると、相手よりも優位に立とうなんて考えもしないと思うからです。

 

僕にも優劣で物事や人を判断することがあります。ある意味社会で生きていく術ではありますが、それによって自分の本心に目を向けられていなかったように感じます。今新しい環境で違った文化を見たり知ったりすると、どうでもいいことに本当に無駄な時間をかけていたと感じます。今からでも間に合うので、優劣なんて捨てて自己を高めていきましょう^ ^