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私がコミュ障になった理由

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どうも、モノリスです。

 突然ですが自分のことをコミュ障だと思いますか?

 

えーそんなことないよーと思っている人もいれば正直そう思うって人もいると思います。

 

私はコミュ障だと思っています。ある時期をきっかけに人と話すことが苦手になりましたし、自分が人間関係で安心できる瞬間がなくなっていったことを覚えています。

 

現在はそのことに慣れてしまって、個人的にはつらいことはなくなったと思っていたのですが、最近今のままでいることが本当に良いことなのか?と思うようになりました。

 

まず私の考察なのですが、人間関係にトラウマがある人がコミュ障になるのではないかと思います。

 

その根拠が自分の半生を生きた経験から見えるのですが、今回は私がコミュ障になった原因について過去の体験から話していこうかと思います。

 

 

中学時代のトラウマ

私が人と話すことが怖いと思ったのが中学生の時です。

 

当時の自分を振り返ってみると、昔の私はコミュニティを少しずつ広げていこうとしていた節がありました。

 

他人のことをもっと知りたいと思っていたので、友達の友達と仲良くして数珠繋ぎで友人を増やしていました。

 

私の中で一番積極的な行動をしていた時期でした。

 

ですが、そんな自分の心をへし折られた出来事が起きます。

 

それは1月のある日の出来事でした。仲が良かった友人からお前のことが嫌いだから絶交しよう」といわれました。その日自分の世界が変わったことを今でも鮮明に覚えています。

 

それまでの私は人と分け隔たりなく話していました。仲が良かった人とも共通の友人がいて、楽しくやっていました。

 

その日、かなり仲が良かった人に自分のことが嫌いであり、友達であることを辞めようといわれたのが本当に辛くて悲しくなりました。

 

家に帰ってから三日三晩泣いていました。枕を濡らすという言葉がありますが、本当に枕が濡れているくらい泣きました。

 

これだけ涙を流した私はこの一言によって自分の価値観が大きく変化していきます。

 

疑心暗鬼の日

元友人による一言が自分の日常に変化をもたらしました。最終的に仲が良かった友人以外は何も変化はなかったと思いますが、私は共通の知人に対して疑念をもつようになりました。

 

「この人も私のことを嫌いになっているのではないのか」

 

そう思うようになると人と話すことが嫌いになっていきました。なぜなら自分にとって仲間と思っていた人が絶交した友人のほうにつくのではないかという恐怖があったためでした。

 

多分他の友人はそんなことを思っていなかったと思います。せいぜい「モノリスと○○が絶交したらしいから二人一緒だとめんどくさいな」くらいだと思います。

 

ですが、今まで自分が行動していたことが間違っていたと思った私は「○○が嫌いだから俺らも関わらないでおこう」と考えていると思っていました。

 

毎日疑心暗鬼の生活、しかもその時期は受験する時期でした。今思うと人をつぶすなら最高のタイミングでいったなと絶交した元友人をほめたいところです。

 

そして、絶交した後に気づくことになります。「私、高校あいつと同じところを受けるんだ」

 

わざと受験を落ちてやろうと思った

残念なことに私と元友人は同じ学校を受験していました。

 

願書はすでに提出済みで変更不可能でした。本気で嘆きました。めちゃくちゃ泣きました。自分の不幸を呪いました。

 

その時の気持ちは「あぁ、人生終わったな」。もし同じ学校に行くと嫌いな人間と三年間同じ学校に通うわけですから、それくらい影響がありました。

 

その時中学生の脳みそなりに考えた脱出策が「わざと受験を落ちるようにする」でした。点数を落として試験に落ちるようにしました。

 

当時の私の高校受験は第一希望と第二希望の学校を選択して、試験の点数が第一希望の学校の基準点よりも低かったら第二希望の学校の点数を比較して合格しているか判定します。

 

要するにわざと点数を落として、第二希望の学校に行くことができれば高校で会うことがないと考えました。それだけ精神的に参っていました。

 

もともと今の状態は毎日の生活が疑心暗鬼でつらくて悲しい状態で、勉強なんてロクにできなかったです。これなら点数も落ちてうまくいけば脱出できると。

 

今思うと相当無茶なことをしていて、これがもし第二希望の学校の基準点より低かったらほかの高校に入れなかったシステムでしたので、ひょっとすると高校生になってなかったかもしれないです。

 

まぁなんやかんや高校受験、最終的に元友人と同じ高校に進学しました。これが現実だ(無慈悲)

 

入学式に親に元友人その他数人の中学校同じ人たちで写真を無理やり取りました。

 

親としては思い出として残したいと思っていたのでしょうが、私にとっては入学式早々自分のトラウマを隣に写真を撮るなんてこれほどひどい入学式はないと親を憎んだことはないです。

 

何とかして高校を変えようという私の中での渾身の策は無駄になったわけですが、何とか高校生になっていきます。

疑心暗鬼が日常になった高校時代

元友人と高校一緒になった(絶望)。

 

よく、環境が変われば心境も変化するといわれる昨今のご時世ですが、高校生の私は中学時代同様しんどかったです。

 

クラスは違えど、その人は学年で結構目立った人だったので、様々な人と関わりを持っていました。

 

私はそんな元友人の姿を見て、「私のことを嫌いとほかの人に行ってそうだから色々な人と話したくない」と思っていました。

 

ひどいことに周りの人間が自分の敵だと思っていました。疑心暗鬼していました。「この人も私のことを嫌いなのだろうか?」と思うと私は何も話すことができなかったです。

 

唯一この学年は中学が同じ子でかなり仲が良い友人がいたので、そこにずっと入りびたることで自分を防衛していました。もしそんな人がいなかったら私は本当に学校に行っていなかったかもしれません。

 

ここから人生の分岐点になっていきます。

 

私は元友人のような光輝くような人生を送ることよりも根暗な暗闇の人生を送るように生活していきました。

 

クラスの何人かの友人以外は積極的に話すこともなく、自分の心を守るようにしていました。

 

しかし、そんな世界も長くは続かず、高校2年生の時に高校一年の時の友人が誰もいないクラスになってしまいました。おまけに周りは私とは違うタイプの人が多かったので、本当にやっていけるのか分からなかったです。

  

この時は自分のキャラクターを変えてでもなんとか食らいつきました。ときには変なノリについて行ったり、いじられ役を買って出たりと今までの自分ではありえないことをしていたと思います。

 

そんなこんなで高校生生活も終わり、コミュ障が劇的に改善されないまま大学、社会人になっていきます。

 

高校時代は人間関係形成する部分はかなり劣化したと思いますし、そのままの状態であることに慣れてしまいました。

 

当時はこのように接することが自分にとって正解だったと思っていましたし、これによって自分はトラウマからの克服ができていると確信していました。

 

 

社会に必要な能力の欠落が生み出した結末

この後の社会を生きていくうえで、この高校時代は本当によくない習慣を身に着けたのだと思います。

 

社会に出るといかにコミュニティに入ったり、作り上げるのかを人生を左右していきます。

 

高校生の私は経験上積極的に話す行動をしなくても人生なんとかなると思いました。

 

自分が心苦しいことをしなくても何とか生きていける、だって仲良くなっても裏切られて自分が苦しくなるんだから無理する必要がないからです。

 

大学時代はより自分から他人に話しかけることをしませんでした。

 

相手から話しかけられてようやく仲よくしようと思いました。悪く言うと自分が話す必要がない、君たちから話しかけてねっていう「上から目線」で他者と接してきました。

 

唯一仲が良かった人とも一年くらいで連絡すら取らなくなりました。これも上から目線で人と接してしまうところだと思います。どうして自分から話さなくてはいけないのか?そう思うといちいち自分から話す必要がないと考えてしまいます。

 

また、社会人となってこの発想は致命傷でした。同期が50人くらいいる会社で私が仲良くなったのはたったの二人でした。

 

会社に勤めると同期の繋がりは大きく、色々な助けや相談事もできていいものだと聞いています。ここでも私は孤立しており、誰かに話しかけられないと話すことがないというスタンスをとっていました。ここまでくると傲慢だと思います。

 

その唯一の同期ともあまり連絡せずにそのままにしていました。私の仕事を辞めるようになったのも同期とのかかわりがなかったことも原因だったのかもしれません。

 

話す仲間、自分の愚痴を話せないことは自分をより苦しめます。特に仕事も慣れていない頃なんて嫌なことしかないです。

 

ただの一つも愚痴を話さずに、私は会社を去ってしまい、今現在の生活を送っています。

 

もっといろいろな人と話をして、自分とは違った意見を聞いてみることも大事なことだと思います。結局辞めてか連絡とることもなくなって一人になっていきました。

 

 

 

トラウマの発生と形成で人は仕上がってしまう

私の人生経験を振り返ると

 

 

中学時代のトラウマが発生

        

高校時代でトラウマに対する自己防衛の形成

        

それ以降は心を痛めないように自己防衛の継続

 

を続けて現在まで続いています。

 

そこからのトラウマとの関係は変化せず、今現在まで続いています。

 

トラウマを克服できずに今も自分のしこりとして日常生活の思考となっています。10数年このように生きてきて、こういう生活が慣れてきたと思ったらなんかつらい思いをしながら生活しています。

 

私がコミュ障になったのは中学生の出来事がきっかけでした。そしてトラウマを抗うことをせずに、自分なりの逃げの方法を見つけてきました。多分この選択は間違っていないと思います。

 

このことが自分の今のベースになって、社会に出るとだめになって行きました。

 

残念ながら社会で生きていくなら、いかにコミュニティを形成して自分を認めてもらうのかということが心の平穏を持てます。

 

ですが私はコミュニティを作ることが億劫になりました。それだけ魅力を感じなくなってしまいました。もしコミュニティに入ろうものなら、また仲良くなった人と裏切りを受けてしまう恐怖がまたぶり返すでしょう。

 

でも話したいという欲求がないわけではないです。今これだけ振り返ることもできているのだから、また新しいコミュニティに入って色々話したいとおもっています。

 

ですが、今何を話したらいいのか分からなくなっています。コミュ障がゆえに何を話したらいいのかかわからないですし、相手に自分の思いをどうやって話せばいいのか忘れてしまっていることに気づきます。

 

もし、今自分の人間関係に傲慢な態度をとっていると思っている人はひょっとすると今までの人生に私のようなトラウマが残っているのかもしれません。

 

 

ということで過去の経験から自分がコミュ障になった理由を考えてみました。というか私の半生を語っただけだったような気がしますが。

 

今日はこれで終わり。