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日本一周した人 人生を楽しむために 旅、バイク、動画、雑記系を書いてます  

お金を貸したら絶対帰ってこないって思ったら心に余裕ができました

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どうも、モノリスです。

 

みなさんは人にお金を貸したことはありますか?

 

小額から大金まで様々ありますが、貸してもらうなら返してほしいと思うのが普通ですよね?

 

でも残念なことにお金を返してもらえないことがあります。そういう約束を守らないやつに限って何故か貸してしまうのです。

 

今回は1万円を貸して知人からぶっちで逃げられた私モノリスが、お金を貸してはいけない人やお金を貸したときの心積もりをご紹介します。

 

 

 

お金を借りるやつは違和感があることを知ろう

まず最初に人にお金を借りる人間ってどういう人間でしょうか?

 

お金を無駄使いするやつ

ギャンブルが好き

怪しい商売をしている

 

ってことが浮かびますが、それ以上におかしな点があります。

 

それは「銀行に借りに行かない」ことです。

 

通常お金を借りるなら銀行で借りるという手段があります。消費者金融もあります。

 

考えればいくらでもお金を借りる手段があります。ですがそれでも私たちにお金を借りようとします。

 

つまり、お金を借りる人とは、銀行にお金を借りに行くことができない、そもそも借り方がわからない人であることがわかります。

 

このことを理解できれば、なぜこのような人にお金を貸してはいけないか理解できると思います。

 

お金にうるさい銀行がお金を貸さないような人間、そもそもお金を借りるという概念も知らないような人間がお金を貸したところで帰ってこないのは関の山です。

 

そういう人に出会ったならまずはお金を貸さない、それだけでも自分のお金を減らすことはないでしょう。

 

身近な人間なら縁を切るべき

でも、そのひと長年の友人なんです・・・と思ってなかなか縁を切れない人がいます。もしかしたら返してくれるかもしれない、半年したらお金が戻ってくるかもしれない。いいように思ってしまいます。

 

ここであるサイトでアンケートがあったので掲載しておきます。

hihin.net

ここではお金を貸してと言われた人にアンケートを取り、

 

お金を貸した人

お金を貸すのを断った人

 

で返済できたのか、その後の人間関係はどうだったかというデータがあります。

その結果が

 

お金を貸した人: 64 、断った人:36

貸した人64( 人間関係が疎遠になった人:33  今までと変わらない:31)

貸した人64(借金が全額返済された人:28※  完済されていない:36) ※うち5名は催促等行ったのち全額返済。

断った人 36(疎遠になった人:19  今までと変わらない:17)

 となっています。

 

ここから言えるのが、お金を貸している人が多いことです。

 

そして重要なのが貸した人のうちお金を完済してない人が半分以上いることです。

 

その癖に貸した人との関係性が今までと変わらない人が半分近くいるのも面白いところです。

 

これだけの話でもお金を帰ってくる可能性が50パーセントしかないことがわかりますし、相当なリスクを持つことがわかります。

 

疎遠にならないひとはたいていあなたのことを「カネズル」と思って接していると思います。

 

私が貸した知人のケースは、旅行に行ったときに何故かギャンブルにお金を突っ込んで亡くなったと主張してきました。

 

しかもそれを旅行の途中で費用をそれぞれ支払うタイミングで話してきたので、完全に確信犯でした。

 

私は旅行を楽しむことができなくなったこの知人を旅先で置いて帰ろうと思ったのですが、さすがに周りの人が不幸になることがもったいないと判断して旅費の残り一万円を知人に貸すことにしました。

 

最終的にそのお金はかえってくることはなかったです。

 

お金を使って縁を切ったと思えば得

で私が言いたいのは、お金を貸したら帰ってこないと思えってことです。

 

友達の間柄だから返済しなくてもいいじゃんと思って借りに来ますし、もし貸したとしたら帰ってきたとしても次は前回よりも高額な金額を求められるかもしれません。

 

借りた側からすれば銀行以上に踏み倒しが楽なので、逃げるなりうまく人を扱うことができれば簡単にお金を貸してもらえると思うでしょう。

 

そんな関係になるのであれば、それはその友人との縁の切れ目のチャンスかもしれません。

 

渡すのを最後に縁を切ってもいいですし、そもそも借りようとするような人を追い払うためにお金を出して消えてもらうのがいいです。

 

私も一万円知人にお金を貸しましたが、その日にもう帰ってこないと思ってそれ以上お金を渡さないための先行投資と思って渡しました。

 

実際催促をしてみたのですが、「今お金の持ちがないので難しいのです」と連絡してきました。その日を境にその人の連絡先を消して、「勉強代として一万円支払ったんだな」と思って縁を切りました。

 

人によっては「もっと催促できたんじゃないか」という人もいますが、旅行の件で元知人に対して私は関係性を持っても意味がないと思っていました。

 

そんな人に自分の貴重な時間をかけてまで催促するメリットがあるかと思えるのかどうかです。残念ながら私は時間がもったいないと思って縁を切る道を選びました。

 

その後も今でもほかの知人からお金貸してほしいといわれることがあるのですが、その時は借用書を書くからそれでもいいなら貸してやると言っています。

 

軽い気持ちで聞いてくるような人間はそれで借りないので効果アリです。

 

camatome.com

こちらに詳しく書かれているので参考にどうぞ。

 

最後に:お金を貸してもろくなことにならない

ということでお金を貸すことがいかに良くないことが分かったと思います。

 

お金の切れ目が縁の切れ目とは言われますが、私はそれ以上に

 

お金の使い方はその人を見るパロメーター

 

だとおもいます。

 

ここではなしたように、お金の使い方に粗さがある人間はいずれ自分に対して悪い影響を与えます。お金を借りる行動もその一つです。

 

これから自分の人生を楽しむうえで、自分の周りの人間を選ぶってことも幸せになるポイントだと思います。

 

自分の幸せをつかむためにお金を借りる人を切るのか、それとも友達として残ってほしいがために他人にお金を貸し続けるのか、選ぶのはあなた次第です・・・。

 

おわり

 

初心者必見!!日本一周の準備品で持っていって良かったもの4選

 とうも、元日本一周ライダーのモノリスです。

 

去年の今頃は退職の胸を伝えて受理された時期でした。

 

これからの楽しい日本一周ライフをお祈りして

 

今回は一週間の準備期間という勘で選んだ準備品の中から、旅でもっていってよかったもの4つご紹介します。

 

私の旅の経験から思っている以上の活躍をしたグッズですので、ぜひ一度手に取ってみてください。

 

 

よかったものその1:テント類

 

え、こんなの日本一周するなら当たり前に必要でしょと思っている方がいると思いますが、そういうことではなくて、自分がいいなと思ったところや、

よさそうなキャンプ場に泊まることができるのがとてもよかったところです。

 

お金を使わないためならテントで路駐伯することができるのですが、実は無料のキャンプ場や、有料でも景色がとてもいいキャンプ場にふらっと遊びに行けるのがいいのです。

 

例えば北海道に「多和平キャンプ場」があります。

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そこでは開陽台のような何もない景色が眺められます。私は朝日がきれいだと思ってそこに泊まって翌日眺めていました。

 

展望台からは周りから遮蔽物がない中で眺めることができるので、お勧めしています。

 

このように、聞いた情報でとても美しい場所にテントを立てて美しい景色をみることもできます。それを眺められないのはとてももったいないです。

 

もしテント泊をしないという人も、もしものトラブルで野宿ってことがありますので、買ったほうがいいと思います。

 

私が使ったテントはDODのライダースワンタッチテントです。

 このテントは簡単にテントを設営できるのでとても便利でした。

 

特に私はテント設営の練習をしていない人でしたので、テントを立てるのが難しいと思っていました。

 

しかしこのテントは、一回説明書を読んだら10分くらいで設営できます。もしテントの立て方全然わからない人はぜひワンタッチテントを買ってみましょう。

 

 

よかったものその2:圧縮袋

続きまして、圧縮袋です。服や荷物を入れるためとても便利でした。

 

・防水加工なので濡れても大丈夫

・空気を抜いて圧縮して収納スペースを増加

・持ち運びも便利

なので、私のように荷物が少ない日本一周ライダーには重宝します。

 

もちろんたくさん荷物を持っている方にもおすすめです。

 

実際旅の準備をすると分かると思いますが、衣類って結構かさばるんですよね。

 

毎日綺麗に畳むのって地味に時間がかかりましたし、めんどくさいなと思っていました。

 

その時にお試しで買ってみたのですが、ある程度畳んで袋に入れると服がいつもの3分の2にまで圧縮されてめちゃくちゃ便利でした。

  

私が使った圧縮袋はORTLIEBです。

ORTLIEB(オルトリーブ) ドライバッグ PS10バルブ K2221 ライトグリーン 7L

ORTLIEB(オルトリーブ) ドライバッグ PS10バルブ K2221 ライトグリーン 7L

 

 このバックはたまたまバイクショップに足を運んだ時に見つけたものです。この時に見つけてよかったです。

 

この時まではスーパーの袋に入れて持っていこうかと思っていたのですが、試したら本当に小さくまとめることができました。

 

試しで一つ買ったのですが、次の日に追加で3つ買うくらいの衝撃でした。

 

 

これだけ敬愛しているからこそ後悔していることがあります。

 

当時圧縮袋を買った後にネットで調べたのですが、衣類以外にも寝袋も圧縮できる袋があるそうです。

 

寝袋を買うと収納袋がついてくるのですが、私が買った寝袋では大きさにゆとりなかったのです。 そうすると本体を入れるのが難しくて、収納するのに時間がかかってしまいます。

 

もし収納袋を圧縮袋に変えておくと、収納的にもスペース確保にもかなり便利になっていたでしょう。

 

正直少しお金を出しても「買っておけばよかったな・・・」と後悔しています。

 

寝袋もそういう袋がないと入れるのが大変です。気を付けましょう。

 

 

よかったものその3:アクションカム

はい、ここで高い商品を宣伝するんだろと思った方

違うんです。これはあったほうがいいです。

 

日本一周中色々な名所や景色を写真で残すのは皆さんやっていると思いますが、美しい景色を走っている車載も素晴らしいものです。

 

海岸線を走っている動画や、美しい丘陵の動画も見いいります。

 

最近の日本一周をしている人の多くは日本一周をしている人の動画を見ていると思いますが、そんな人が撮影したような動画を今は簡単にとることができます。

 

思い出残しにもいいと思うので、ぜひ買ってみてはいかかでしょうか?

 

私が使っていたアクションカム 

 

【国内正規品】 GoPro アクションカメラ HERO5 Black CHDHX-502

【国内正規品】 GoPro アクションカメラ HERO5 Black CHDHX-502

 

 

 定番のGOPROです。これは日本一周前から買っていました。車載動画を作るために購入しました。

 

今はGOPRO7まで出ていますが、そんなに高いものは買う必要はないので防水機能があるHERO5を買うことをお勧めします。

 

自分の走行している動画を撮影するといつもと違った新しい世界を見ることができるので、おひとついかがでしょうか?

よかったものその4:バイクカバー

え、これいる?って人がいるかもしれませんが、使えます。

 

私は主に盗難対策として使っていました。長時間バイクから離れるときに中身を盗まれるリスクを減らすためです。

 

もし自分が盗人の気持ちで日本一周の文字が書いてあるバックを見たら、

一応中身だけ確認して、金目になりそうなものなら盗もうと思います。

 

私は毎日つけていましたが、盗難被害はなかったです。

 

だからといってめちゃくちゃ高いバイクカバーをつける必要は無くて、あくまで目隠し用としての安物でいいです。

 

もし日本一周の持ち物を盗まれたくないと思っている人がいたら、念のため買っておきましょう。

 

 

 

終わりに:絶対1と2は買ってといて損はない

ということで4つレビューしてみました。

 

こんなにたくさん買えないよーっていう人は実用性でもあれば最強のテントと圧縮袋をオススメします。

 

これは日本一周するなら確実に損はしないアイテムです。でも四つとも便利だから検討してみてください。

 

日本一周のことについて他にも書いてあるので是非読んでください(╹◡╹)

 

cbrman.hatenadiary.jp

 

cbrman.hatenadiary.jp

 

 

cbrman.hatenadiary.jp

 

 

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 私の日本一周の軌跡はここから始まった(^ω^)

cbrman.hatenadiary.jp

 

 

 

叱られ方講座の無駄を語りつくしたい

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どうも、モノリスです。

 

あまり悪口を言わないようにしていたのですが、さすがにこれはダメだろとおもってしまった話です。

 

まずはこの記事を読んでくれ、この講座をどう思う?

netgeek.biz

 

という私の素直な感想ですが、本当にこれが意味があるのか疑問である。これからはいってくる新入社員に対する意味のない行動ですよね感が半端なかったです。

 

叱られ方を学ぶっていうのは前提として新入社員はミスしたり大きな失敗をすることを理解しているということです。そこまではとてもいいことです。知らない世界に飛び込むことがあるんだから成功ばかりしている人はいないと思います。しかし、なぜ叱らせるほうを学ぶのか?

 

違うじゃん、どうやってリカバリーすれはいいのかを教えるのが大人のすることじゃないのかなって思います。さすがに仕事を辞めた私でもわかりますよ。

 

間違えたことをしてしまったならどうして対処していくのかを考えてできるようにするのが大事で、叱られるなんて必要性もないことにどうして講座が開かれるのか?それは叱る側が自分たちの成長を止めてしまっているのだろうなと。

 

叱られ方って怒られること前提の話で、結局叱ることが人の成長につながると考えている古い考えのおやじたちが考えていることです。確かに昔はそれで行けていたのかもしれないですし、最近の若者は怒られたらすぐにやめてしまうという懸念もあると思います。

 

私は正直怒る人間は関わってはいけないと学んできたからすぐにやめているのだと思います。多分叱ると怒るを割と理解できているのだと思います。

 

例えばアルバイトをする人。お客によっては理不尽なことで怒ることがあります。そういったところを見ているからこそ、自分のためにいっているのか、ただ単に怒っているだけなのかも理解できているのだと思います。

 

まぁ叱られ方講座をする=パワハラしてますよといっているようなものなので、このコンサル会社にも問題はあると思います。

 

また、講座受けている人も受けている人で「この場面では気を使わないといけないのだと思いました」とコメントしてましたが、人の怒りってたいていは自分がイライラして相手にあたることなんで、気を使うってこと自体おかしいことなんだよな・・・。

 

社会人なのに仕事でイライラして人にあたる行動をしているほうが幼稚な人間なんだよ・・・といいたいです。

 

昔から新人研修を他者委託して変な研修をするようなところもあります。

 

昔先輩から聞いた話だと、自衛隊の訓練に参加して心身ともに鍛えるような研修があったようです。それって仕事に必要なスキルを学ぶことができるのでしょうか?

 

私は精神論を否定するつもりはないですが、仕事の働き方については精神論ではないと思います。精神論に頼っている時点で事業として成立していませんし、効率を考えてももっとすることがあるのではないかと思ったりします。

 

仕事の進め方やルーティンワークを学んだほうがよっぽど意味があると思います。その辺をマニュアル化させないくせに仕事の本質は根性とか言っているから社員が根付かないのではないかといいたいです。

 

 

という私の愚痴タイムでした。皆さんもこんな意味があるのか分からないセミナーには参加しないようにしましょう。そんなことするくらいならスマホでゲームしているほうがよっぽどまし

 

 

それではまた。

 

 

 

手クニシャンってそんなに不適切?

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どうも、モノリスです。

 

突然ですが、卑猥な言葉ってどんな言葉でしょうか?

 

 

少し前にTwitterで話題になった話で、最終的に撤去されるという流れになったようです。こういう系の話をすると男尊女卑がぁとかそういう界隈の人が敏感に反応し批判するのがテンプレになってますよね。オー怖い怖いと思いながら見ていますが。

 

今回私が思ったのが、「卑猥に聞こえる人って普段からそういうことを妄想しているのかな?」って思いました。

 

私は初めてこの話を聞いた時、残念ながら非常に残念ながら「エロいな」と思いました。

 

でも悪いことではないとも思いました。この世の中の広告にこんなのと変わらないような怪しい広告文なんていくらでも存在します。

 

例えば「夜のお仕事、してみない?」って怪しい言葉で深夜のアルバイトを紹介しているような広告とかTwitterだったらなぞなぞで「Hになると固くなるものってなーんだ?」とかくだらないようなやつがあるんですよ。なぞなぞの答えはえんぴつですが、私は最初お(以下規制

 

正直このPRは女性のスポーツで怪しいフレーズだから批判されたってことはわかると思います。その辺は考えた人も少しは落ち目はあると思います。

 

ですが、こういう軽いジャブを別に関係もない赤の他人のフェミニストが批判していることが謎なのです。その人たちがそのようなPRで被害を被っていないはずなのに、です。

 

もしこれがハンドボールの選手が批判したのなら納得がいきます。自分たちの試合が悪いイメージを持たれかねないと反対するといった行動があればいいんです。

 

でも多分この話で勝手に批判しているのはさっきいったフェミニストの方だったり、よくわからない第三者の人がほとんどじゃないかと思うんです。

 

じゃぁその人たちに質問するのですが、手クニシャンのどこに卑猥要素尾を感じたんでしょうか?ハードプレイのどこに批判されるような言葉があったのでしょうか?

 

卑猥【ひわい】

[名・形動]品がなくみだらなこと。また、そのさま。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

 

ひょっとして私のような非常に残念ながら「エロく」聞こえただけで批判されたのでしょうか?と思うととても性について知識があるのだなと思いました。

 

こう考えると性について批判的な人ほど詳しいんだなーって。なんやかんや性差別批判している人は純白清純な人と勝手なイメージを持っていたのですが、今回の件で意外と性知識高いんだなって思いました。

 

また、テクニシャンの意味って

テクニシャン【technician】

 
高度の技巧を使う人。技巧家。技巧派。出典 三省堂大辞林 第三版について 

という意味なんですけど、なるほどそこまで卑猥なテクニシャンと思ったんですかね?ある意味自分は「性知識が豊富なんですよー」っていってるのと同義ではないでしょうか?

 

手クニシャン=加藤鷹って思ってしまったのかな?私はそうおもった(小並感)

 

ちなみにハードプレイで検索すると・・・

 

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映画が出てきます。見当違いの話で話題になりそうだからだからamazonのリンクを貼っておくぞ。みんなも、買おう(威圧)

 

ハード・プレイ (字幕版)

ハード・プレイ (字幕版)

 

 

とまぁネタにしてしまいましたが、こういう記事が出ると本当に批判的な意見が多すぎたんで違った視点で見てみました。

 

 

 

個人的にはもう少しエロに対してオープンな感じの社会になってほしいなとおもうものりすであった。

 

おわり

 

ブログを書き始めたきっかけ

 

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どうも、モノリスです。

 

本ブログを開設して一年以上経ちました。長いですね。私の特技はなんでも一年くらい日地にを開けてもできることだと思いますが、その辺の能力がいかんなく発揮されています。

 

この人生を楽しもうという安直なブログを書いているのですか、今も楽しめているかといいますとたのしめてないなーと思いながらのんびり書いております。

 

ほんと人生楽しむってなんでしょうね・・・。スーパーわからんぞい。解答をくれ。答えなんてないんだけと、答えが欲しいのです。。。

 

 

今日の話はブログを書こうとした生い立ちを書いていこうかと思います。

 

私がブログはここで2代目で、初代は最近更新すらしてないです。その頃は自己啓発オナ禁ブログでしたが、なんか毎日書くのが楽しかったり、本を読んでみて自分の考えを主張してみたりと面白かったことを覚えています。

 

そんなブログが生まれたのも「彼女に振られた」ってことかきっかけで作っていました。そのころから自分が悪い人間であると思っては自己嫌悪感にさいまれていました。

 

そのときに読んだブログがオナ禁で自分を変えていこうというブログでした。そこから毎日のように読んでいき、最終的には自分でブログを立ち上げようと思って初代のブログが完成しました。

 

それに関連した方もフォローしまして、頑張っている姿を読んで自分も頑張ろうとしていました。

 

その後は仕事がどんどん自分を追い詰めていってブログと離れていきました。自分に余裕がなくなっていったからだと思います。

 

その後に仕事がつまらなくなって現在のブログを立ち上げることになりました。

 

地味にブログ歴なら3年あることになります。でも継続して書いていたのは1年で最近まではほとんど更新してなかったです。

 

その私がまた再起して書こうと思ったのが、パソコンのタイピングの練習のためでした。仕事を辞めてからアルバイトをし、精神的に余裕を持つようになったころにパソコンのタイピングを練習するサイトがあって、面白そうだったので練習をしました。

 

これが意外とはまってしまい、3か月くらい毎日その練習をしていました。打つのって早くなるとこんなに楽に打てるんだと思うと少し欲が出てきます。

 

「これブログを書くのも楽になるんじゃね?」

 

そう思って久しぶりにパソコンでタイプをしてみると早く打てるじゃないですか!?

 

そんなことを思ったらうつのが楽しくなってどんどんブログを書くようになりました。内容は自分が浮かべたことをとりあえず文字に出していくこと。それを頑張ってみようと思いました。

 

最近では1000字くらいなら2時間くらいで書けるようになりました。すげぇ進歩で昔は1000字書くのに半日かかっていました。それくらいハードルか低くなりました。

 

先日4000字くらいの文章を書いてみたのですが、さすがに慣れていないからでしょう。一日かかりました。時間計算おかしいなと今思うのですが、まぁ最初はこんなもんですな。

 

パソコンをかって苦節2年、ようやくタイプができるようになったと思うと、自分も成長しているのだなぁとしみじみと思います。

 

今の閲覧数は平均3くらいのへぼブログですが、たまに閲覧数が増えると嬉しくなります。「このブログのこの記事を見てもらっているんだな」と思ってはやったぜって思ってます。

 

今後もこんな感じでのんびりと書いていこうと思いますので今後ともよろしくお願いします。

私がコミュ障になった理由

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どうも、モノリスです。

 突然ですが自分のことをコミュ障だと思いますか?

 

えーそんなことないよーと思っている人もいれば正直そう思うって人もいると思います。

 

私はコミュ障だと思っています。ある時期をきっかけに人と話すことが苦手になりましたし、自分が人間関係で安心できる瞬間がなくなっていったことを覚えています。

 

現在はそのことに慣れてしまって、個人的にはつらいことはなくなったと思っていたのですが、最近今のままでいることが本当に良いことなのか?と思うようになりました。

 

まず私の考察なのですが、人間関係にトラウマがある人がコミュ障になるのではないかと思います。

 

その根拠が自分の半生を生きた経験から見えるのですが、今回は私がコミュ障になった原因について過去の体験から話していこうかと思います。

 

 

中学時代のトラウマ

私が人と話すことが怖いと思ったのが中学生の時です。

 

当時の自分を振り返ってみると、昔の私はコミュニティを少しずつ広げていこうとしていた節がありました。

 

他人のことをもっと知りたいと思っていたので、友達の友達と仲良くして数珠繋ぎで友人を増やしていました。

 

私の中で一番積極的な行動をしていた時期でした。

 

ですが、そんな自分の心をへし折られた出来事が起きます。

 

それは1月のある日の出来事でした。仲が良かった友人からお前のことが嫌いだから絶交しよう」といわれました。その日自分の世界が変わったことを今でも鮮明に覚えています。

 

それまでの私は人と分け隔たりなく話していました。仲が良かった人とも共通の友人がいて、楽しくやっていました。

 

その日、かなり仲が良かった人に自分のことが嫌いであり、友達であることを辞めようといわれたのが本当に辛くて悲しくなりました。

 

家に帰ってから三日三晩泣いていました。枕を濡らすという言葉がありますが、本当に枕が濡れているくらい泣きました。

 

これだけ涙を流した私はこの一言によって自分の価値観が大きく変化していきます。

 

疑心暗鬼の日

元友人による一言が自分の日常に変化をもたらしました。最終的に仲が良かった友人以外は何も変化はなかったと思いますが、私は共通の知人に対して疑念をもつようになりました。

 

「この人も私のことを嫌いになっているのではないのか」

 

そう思うようになると人と話すことが嫌いになっていきました。なぜなら自分にとって仲間と思っていた人が絶交した友人のほうにつくのではないかという恐怖があったためでした。

 

多分他の友人はそんなことを思っていなかったと思います。せいぜい「モノリスと○○が絶交したらしいから二人一緒だとめんどくさいな」くらいだと思います。

 

ですが、今まで自分が行動していたことが間違っていたと思った私は「○○が嫌いだから俺らも関わらないでおこう」と考えていると思っていました。

 

毎日疑心暗鬼の生活、しかもその時期は受験する時期でした。今思うと人をつぶすなら最高のタイミングでいったなと絶交した元友人をほめたいところです。

 

そして、絶交した後に気づくことになります。「私、高校あいつと同じところを受けるんだ」

 

わざと受験を落ちてやろうと思った

残念なことに私と元友人は同じ学校を受験していました。

 

願書はすでに提出済みで変更不可能でした。本気で嘆きました。めちゃくちゃ泣きました。自分の不幸を呪いました。

 

その時の気持ちは「あぁ、人生終わったな」。もし同じ学校に行くと嫌いな人間と三年間同じ学校に通うわけですから、それくらい影響がありました。

 

その時中学生の脳みそなりに考えた脱出策が「わざと受験を落ちるようにする」でした。点数を落として試験に落ちるようにしました。

 

当時の私の高校受験は第一希望と第二希望の学校を選択して、試験の点数が第一希望の学校の基準点よりも低かったら第二希望の学校の点数を比較して合格しているか判定します。

 

要するにわざと点数を落として、第二希望の学校に行くことができれば高校で会うことがないと考えました。それだけ精神的に参っていました。

 

もともと今の状態は毎日の生活が疑心暗鬼でつらくて悲しい状態で、勉強なんてロクにできなかったです。これなら点数も落ちてうまくいけば脱出できると。

 

今思うと相当無茶なことをしていて、これがもし第二希望の学校の基準点より低かったらほかの高校に入れなかったシステムでしたので、ひょっとすると高校生になってなかったかもしれないです。

 

まぁなんやかんや高校受験、最終的に元友人と同じ高校に進学しました。これが現実だ(無慈悲)

 

入学式に親に元友人その他数人の中学校同じ人たちで写真を無理やり取りました。

 

親としては思い出として残したいと思っていたのでしょうが、私にとっては入学式早々自分のトラウマを隣に写真を撮るなんてこれほどひどい入学式はないと親を憎んだことはないです。

 

何とかして高校を変えようという私の中での渾身の策は無駄になったわけですが、何とか高校生になっていきます。

疑心暗鬼が日常になった高校時代

元友人と高校一緒になった(絶望)。

 

よく、環境が変われば心境も変化するといわれる昨今のご時世ですが、高校生の私は中学時代同様しんどかったです。

 

クラスは違えど、その人は学年で結構目立った人だったので、様々な人と関わりを持っていました。

 

私はそんな元友人の姿を見て、「私のことを嫌いとほかの人に行ってそうだから色々な人と話したくない」と思っていました。

 

ひどいことに周りの人間が自分の敵だと思っていました。疑心暗鬼していました。「この人も私のことを嫌いなのだろうか?」と思うと私は何も話すことができなかったです。

 

唯一この学年は中学が同じ子でかなり仲が良い友人がいたので、そこにずっと入りびたることで自分を防衛していました。もしそんな人がいなかったら私は本当に学校に行っていなかったかもしれません。

 

ここから人生の分岐点になっていきます。

 

私は元友人のような光輝くような人生を送ることよりも根暗な暗闇の人生を送るように生活していきました。

 

クラスの何人かの友人以外は積極的に話すこともなく、自分の心を守るようにしていました。

 

しかし、そんな世界も長くは続かず、高校2年生の時に高校一年の時の友人が誰もいないクラスになってしまいました。おまけに周りは私とは違うタイプの人が多かったので、本当にやっていけるのか分からなかったです。

  

この時は自分のキャラクターを変えてでもなんとか食らいつきました。ときには変なノリについて行ったり、いじられ役を買って出たりと今までの自分ではありえないことをしていたと思います。

 

そんなこんなで高校生生活も終わり、コミュ障が劇的に改善されないまま大学、社会人になっていきます。

 

高校時代は人間関係形成する部分はかなり劣化したと思いますし、そのままの状態であることに慣れてしまいました。

 

当時はこのように接することが自分にとって正解だったと思っていましたし、これによって自分はトラウマからの克服ができていると確信していました。

 

 

社会に必要な能力の欠落が生み出した結末

この後の社会を生きていくうえで、この高校時代は本当によくない習慣を身に着けたのだと思います。

 

社会に出るといかにコミュニティに入ったり、作り上げるのかを人生を左右していきます。

 

高校生の私は経験上積極的に話す行動をしなくても人生なんとかなると思いました。

 

自分が心苦しいことをしなくても何とか生きていける、だって仲良くなっても裏切られて自分が苦しくなるんだから無理する必要がないからです。

 

大学時代はより自分から他人に話しかけることをしませんでした。

 

相手から話しかけられてようやく仲よくしようと思いました。悪く言うと自分が話す必要がない、君たちから話しかけてねっていう「上から目線」で他者と接してきました。

 

唯一仲が良かった人とも一年くらいで連絡すら取らなくなりました。これも上から目線で人と接してしまうところだと思います。どうして自分から話さなくてはいけないのか?そう思うといちいち自分から話す必要がないと考えてしまいます。

 

また、社会人となってこの発想は致命傷でした。同期が50人くらいいる会社で私が仲良くなったのはたったの二人でした。

 

会社に勤めると同期の繋がりは大きく、色々な助けや相談事もできていいものだと聞いています。ここでも私は孤立しており、誰かに話しかけられないと話すことがないというスタンスをとっていました。ここまでくると傲慢だと思います。

 

その唯一の同期ともあまり連絡せずにそのままにしていました。私の仕事を辞めるようになったのも同期とのかかわりがなかったことも原因だったのかもしれません。

 

話す仲間、自分の愚痴を話せないことは自分をより苦しめます。特に仕事も慣れていない頃なんて嫌なことしかないです。

 

ただの一つも愚痴を話さずに、私は会社を去ってしまい、今現在の生活を送っています。

 

もっといろいろな人と話をして、自分とは違った意見を聞いてみることも大事なことだと思います。結局辞めてか連絡とることもなくなって一人になっていきました。

 

 

 

トラウマの発生と形成で人は仕上がってしまう

私の人生経験を振り返ると

 

 

中学時代のトラウマが発生

        

高校時代でトラウマに対する自己防衛の形成

        

それ以降は心を痛めないように自己防衛の継続

 

を続けて現在まで続いています。

 

そこからのトラウマとの関係は変化せず、今現在まで続いています。

 

トラウマを克服できずに今も自分のしこりとして日常生活の思考となっています。10数年このように生きてきて、こういう生活が慣れてきたと思ったらなんかつらい思いをしながら生活しています。

 

私がコミュ障になったのは中学生の出来事がきっかけでした。そしてトラウマを抗うことをせずに、自分なりの逃げの方法を見つけてきました。多分この選択は間違っていないと思います。

 

このことが自分の今のベースになって、社会に出るとだめになって行きました。

 

残念ながら社会で生きていくなら、いかにコミュニティを形成して自分を認めてもらうのかということが心の平穏を持てます。

 

ですが私はコミュニティを作ることが億劫になりました。それだけ魅力を感じなくなってしまいました。もしコミュニティに入ろうものなら、また仲良くなった人と裏切りを受けてしまう恐怖がまたぶり返すでしょう。

 

でも話したいという欲求がないわけではないです。今これだけ振り返ることもできているのだから、また新しいコミュニティに入って色々話したいとおもっています。

 

ですが、今何を話したらいいのか分からなくなっています。コミュ障がゆえに何を話したらいいのかかわからないですし、相手に自分の思いをどうやって話せばいいのか忘れてしまっていることに気づきます。

 

もし、今自分の人間関係に傲慢な態度をとっていると思っている人はひょっとすると今までの人生に私のようなトラウマが残っているのかもしれません。

 

 

ということで過去の経験から自分がコミュ障になった理由を考えてみました。というか私の半生を語っただけだったような気がしますが。

 

今日はこれで終わり。