見てるだけでストレスになる話
たぶんどこの会社でもあることだと思うんですが、営業成績が悪くて課長が部長に怒鳴られるシーン。僕は嫌いで嫌いで仕方ないです。
大学では経済学部だったので(ほとんどやったこと忘れているから笑える)唯一、会社は利益を求めることが正しいを学びました。当時は「ま、そうだよね」と軽く流してました。今現場で働いて(成果出さないが)営業成績のためにこんなに人が人に怒られることがあっていいのか?と思うのです。
こんなこと社内で話したら部長に新入社員のくせに生意気やろと思われること必至ですが(笑)実際社内ではやりすぎやろと思っている社員もいるので、案外危険な状態でしょう。
他人が怒られているのを見て、気持ちがナイーブになるってことあります?僕はかなり多いので会社来てもストレスゲージが溜まっていきます。普通の人なら人同士が怒鳴っている姿なんで見たくもないと思うんですけど実際どうなんでしょうかね?(友達いないんで情報数が少ないのです…)
僕は結果じわじわストレスという毒を注入されているような状態で、帰る頃には心にはしんどい気持ちが残るのだよ_(:3 」∠)_
それだけ怒りは周りにマイナスに作用するんだよ、聞いてるか部長(^^)
(ネットでしか意見言えない新入社員乙)
このままだと愚痴話に発展しそうなのでこれくらいに…。
しかし、自分達にも多かれ少なかれ怒りで相手に接してしまうケースはあります。昔アルバイトで仕事出来ない後輩をきつめに叱った経験もあります。後日ちゃんとフォローしてたので、今では怒った後輩とは関係は普通だと思います。(こっちの勝手な思い込みかもしれませんが)
「怒らないでおこう」と思ってもその時の場面、立場によってはやってしまうこともあるんです。自称怒らないことを信条に生きてきた僕でもありうる話なので、誰でも起こりうることなのでしょう。
しかし怒るってことはただ感情に任せて相手を屈服させれば勝ちなので、言葉ではなく表情・声の大きさ・行動等まさに「動物が喧嘩でやっている」ような行動をとってしまうのです。それってこれだけ頭を使ってものを作り出し、固有の言語を作り出し進化してきた我々人間としては「退化」に等しい行為ではないでしょうか?
僕たちは「コミュニケーション」の大部分で言語を使って相互理解しています。上から下に怒りをぶつけることが果たして相互理解につながるのか?それをみている社員とは相互理解はできるのか?忙しいビジネスマンだからこそ時間を割いてもいいから一人一人のことを言葉で知って、出来ることをする方がいいのではないでしょうか?
と自称コミュ障の僕は主張します( ・∇・)
クリスマスが追ってくる
トントントントン日野の2トントラックが好きな人です( ・∇・)
HINO CM 言えてねぇよ編 トントントントンヒノノニトン - YouTube
あのリズム…私すゅきなの
これ付き合ってた彼女がよく口ずさんでいたフレーズで悲しい思い出が蘇りますが、クリスマス前なので涙を流します。゚(゚´ω`゚)゚。
ちなみに彼女募集は終了しました、恋人は単気筒エンジンついたマシンですが末永く頑張ります。クリスマス走るで…寒さなんて関係ないんや( ・∇・)
世間はクリスマスムード一色だよ、なんてこったい\(^o^)/
今年も非リア充がクリスマスを妨害しようとあれやこれやと語っていることでしょう。私は妨害するなんておこがましいことできないので、せいぜいクリスマスツリーのてっぺんの星だけ抜き取る作業のアルバイトを見つけることが目標です^ ^
ふと疑問に思ったことがある。
「何故、冬場にイルミネーションをやることが多いのか」
駅のイルミネーション広告眺めてて思っちゃったよ( ・∇・)
ちなみに上の写真は一人でたまたま通ったイルミネーションを撮影するという一人リア充プレイを行ったものである。ナクナ…ナクデハナイ…
だって寒い中装飾された気を眺めるの辛いじゃん。家で眺める方が楽しいじゃんってクソみたいな理由を並べつつ…。
最初に思ったのが冬の夜イベントが少ないからと夏は夜イベント多いから含められないという説
寒い中イベントやろうなんて思う野郎はいないのだ、だからこそ光で装飾して人の心に暖かな気持ちを与えようなんてしゃれたこと考えたんじゃねーの?と一人で妄想してました、まる
他には暗くなる時間が早い為に環境的にやりやすい説、寒い方が電飾が綺麗に見える説(冬は空気が澄んで星が綺麗に見える為)など考えてました。実際はどうなんでしょうか?
ネットで探すと同じこと考察している人が多くて笑いました
(検索履歴の1ページ目)
やっぱり考えてることは一緒なんですね^ ^
こんなこと話している私ですが、実は今年既に2回イルミネーション見ていたり…。ただし彼女ではないことだけはご報告させていただきます。
カメラが好きな友達に「FoodieならiPhoneでもいい写真撮れる」と言われたので皆さんFoodieはいいぞ〜
クリスマスが今年も迫ってくるということで、楽しかった出来事を消し去るように、パジャマを着てサンタさんを待ちましょう…
あ、サンタさんって親だったの忘れてたわ\(^o^)/オワタ
死ぬ=無
ども、ブログあげてる人です( ・∇・)
我輩はモノリスである、名前はまだない
僕の中でのモノリスは遊戯王のこれだったりする。三幻神懐かしい…。
今日は死について考えよう、そうしよう。
最近僕のツイッター界隈ではバイク事故で亡くなってしまった方を見かけます。ツイッターで知り合って仲良かった人が冥福を祈るツイートを流す、一部アンチが勝手な予想で批判してツイッター口論になるなんてあります。それについて僕の意見を話すというつもりはないので別の視点から考えてみようと思います。
世の中様々な理由で死んでいくことがありますが、僕的には死ぬ=無になると思います。それは人間としてアップデート出来ることが無くなるということです。
人が死んでしまうと次の日から死んだ人はいないですよね?親が親族が知人・友人が悲しみ、葬儀をあげて粛々と行うという感じです。そこからはその人が生きていたことについて食事をとりながら思い出話をするという流れになりますが、過去の出来事が上がり続けます。
僕のようなバイク乗りであれば「この人とはこういうところに行きました」「トラブルあったのですけど無事帰れました」と思い出に花を咲かせると思うのですが、その場面ではまるで亡くなった人が生きているようなそんな錯覚に陥ります。
でもそれはあくまで「過去」の話であり、「未来」の話は本人からしか聞けないのです。これがアップデート出来ないという話で、死んでしまうと未来にやりたかったことができなくなるんですよ。だからこれ以上変化のない「無」の状態になります。
そうしていくうちに亡くなった人は仏壇で拝まれ、まだ盆休みに墓参りにいくようになっていくのですが、亡くなった人が生きていた頃よりも関心は無くなっていきます。何故なら辛いことは忘れるように人間の脳にインプットされているからです。いつしか話題にもあげられずにフェードアウトしていく、日本では一回忌等で死者を見つめ直す機会がありますが、毎日のようにする訳でもないので心から少しずつ消えていくのは止められないでしょう。
死のリスクはこの無になることだと思います。これから先何をしたいか分からないですが、生きている=未来があるなので、政治家にもなれる、宇宙飛行士にもなれるチャンスがあるかもしれないということです。(かなり極論ですが頭に浮かんだことが出来ると考えてもらえればいいです)
自分を覚えてもらう数は死ぬ前がピークです。生まれる頃から右肩上がりに上がっていって死亡後は下降していきます。
(ちなみにツイッターでは少し違って、認知の数が死亡後に増えます。で同じように下降していきます。拡散されることによって知らない人が情報として目に入れる為です。それによって批判されてしまうこともしばしば)
自分の希望もなくなり、人の関心も失うとなるとそれって無そのものです。最先端技術で少しでも長く生きようと思うことも当然なのかもしれません。
死のリスクは世の中生きていれば何パーセントかはあります。今日死ぬかもしれないし、10年後死ぬかもしれない。死神の目なんか持ってたら分かるんでしょう、そう、あればね…( ・∇・)
そんなものないと思うんで、なるべく長生きして自分のために生きたいですね。死んだら人生ゲームオーバーなので、それまでに自分で生きた証を残しましょう。もし僕が死んでもこの黒歴史確定ブログは(サーバがあれば)生きているので、一人でも幸せになれば無にはならないでしょう^ ^
頑張れっていう動機
これからのこと(主に次の仕事等)を考えたときに、「全力で頑張ったことってあっただろうか」とふと考えることがありました。
全力・・・?そんな経験があったかな?とおもうわけですよ。5分ぐらい考えても浮かばないような状態です。
例えば、今の仕事は頑張っているのだろうか?と聞かれると僕は「NO」と解答します。いま辞めたいと思ってやる気ない状態ですので(笑)僕は営業で新規のお客様を作る仕事をしているのですが、やってみると新規のお客様と話すことが嫌いでしょうがなかったです。それに仕事に意味がないと感じてるので余計やりたくならないので、これでお給料をもらえると思うと、ホント楽だなと思ってしまうのです。
僕が思う頑張るっていうのは「しんどいことにめげずに取り組むこと」だと考えており、嫌いな受験勉強を死ぬ気でやって志望校に合格するようなイメージを持っています。いわば「努力すれば報われる」ようなスタンスなのだと思います。
受験の話になると僕は小学校から高校まで受験をしましたがすべて志望校落ちているいわば「落ち人間」です。(受験勉強している方は読まないほうがいいかも)受ける気力があるはずだが、「勉強嫌い、つまらない」のレッテルが拭えなくなって何度も失敗した人間です。こと受験については「本気度」が低かったのもありますが、このころから「頑張る」ことがなかったのかもしれません。
話は戻りますが、仕事も頑張らない、勉強も頑張らない、いったいどこで頑張っていたのかとなります。じゃあ今やっている趣味はどうなんだとなりますが、趣味や好きなことは「頑張る」とは違った動機付けじゃないかと考えてます。
例えば、バイクであればいろいろな土地を走りに行くことが楽しいと思っているので、頑張って乗っているとはならないんですよ。ゲームなら一日中やっていても飽きないような継続性があって、そこには達成感がありました。(最近触ることすらやっていない)要は「自然とやっている」状態になっているが正解なのでしょう。
こう考えると、好きでやっているようなことは「頑張る」ような要素ってないんですよね。ひどくしんどく、それほど好きでもないようなことに対しての動機付けになる言葉が「頑張れ」って言葉であるのだと思います。
全力で頑張れたことがいいのかではなく、没頭できる状態こそ人生を楽しむヒントがあるのだと思います。僕としては、没頭できるような仕事を見つけるのが今後の課題だと思います。
現実逃避した男の話
かなり久しぶりに投稿することになりました。モノリスと名乗っているものです(^^)
前回のブログ「自己研磨日記〜オナ禁の道〜」を志半ばでやめてしまった野郎です(笑)
現在ブログ更新が滞ってますが、気が向いたらのんびり更新していこうと思います。
私にはまだ厳しい世界だったのだ…。゚(゚´ω`゚)゚。
またやってみようと思ったら聖域に踏み入れるつもりです。(いつになるかは分からん、前のブログ見てくれていた方々すまん)
というわけでなんでまた別ブログを作って突然復活したかと言いますと、最近仕事に疲れてしまったのでもうブログに逃げ込んでしまおうと思ったからです(笑)
テーマ的には「楽しいことに全力を出して、周りの人が元気になればいいな」という現代社会の抑圧された気持ちを奮い立たせようというぼんやりとしたブログです(笑)
現在、バイクで走ったりして仕事の気分転換をしていますが、こんなもんじゃ今の日本行きていけないなと思っております。だって次の日仕事いっても死んだ顔になるんだよ…_(:3 」∠)_
画像のヘッダーであるこんな美しい紅葉を見ても心が癒されない…現代人は癒しをどこで手に入れるんだ…_(:3 」∠)_
というか最近はバイクすら乗らずに「休みだから寝よう」としてどんどん心が荒んでいる…。
ということで、ここくらいは自分らしくふざけて投稿していきます。…前もふざけてた時はふざけてた気がする(笑)
モノリスさんのスペック
職業:会社員、仕事辞めたいとかなり前から思って実行に移す流れ、なお新入社員であるが、すでに3名辞めている模様( ・∇・)
出身:京都府のどっか、実家のすねかじり野郎です本当にありがとうございます。m(_ _)m
趣味:バイク乗ります、動画撮影してます、あとは寝てます(-_-)zzz
好きなもの:①愛車CBR250R、大学時代からの付き合い
②読書、仕事から逃げるように本を読むようになるので本読む=仕事嫌いなのです(笑)
これから好きなものを増やしていく所存
こんな感じな奴ですが今後ともよろしくおねがいしますm(_ _)m